資本に対立するものが即ち科学だという観念は、資本主義下に働いている技術家が、最も自然発生的に感得する一つの知恵だろう。技術家は自分[#「自分」に傍点]の科学が、常に資本家の資本に対立することを意味する。そこで資本対科学と考えたくなる。だが豈計らんや、この資本と科学との対立こそ、資本主義の上での対立だったのだ。私は一般にテクノクラシー的観念の発生を、こういう風にして説明出来ると考える。わが大河内博士の「科学主義工業」的観念も亦、日本的な農本主義によって色揚げされたテクノクラシー的観念の一つではないかと、推察するのだ。
 科学主義[#「科学主義」に傍点]という言葉が抑々、妙なものである。本当の科学的精神[#「科学的精神」に傍点]は科学主義などという言葉に本能的な不純さを感じるだろう。それは科学の専門家に特有な或る制限された観念を象徴している。特に自然科学専門家の、専門家なるが故に制限された科学的精神を象徴する様だ。之は文学主義[#「文学主義」に傍点]と好一対の仇名として相応わしいだろう。
 だが私は大河内博士の「科学主義工業」の観念の背景をなす社会的地盤を検討出来なかったのを残念に思う。

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