文学的印象は、ジードが自説に少しでも有利そうな材料を、あれこれとかき集めるのに汲々としていると云ったような弱々しさである。ここに載せられた色々の插話は、著者によって捻出されたものとは誰にも思えないだろうが、併し又、これほど瑣末な偶然なアトランダムな誹謗のスケッチを試みる位いなら、同時に、之と反対に賞賛の材料になるような同様に瑣末な偶然なアトランダムなスケッチが、なぜ載せられ得なかったのだろう、と誰しも不思議に思うに違いない。あの誠実な頭脳が文学的論証の上に於けるこれほど明らかな欠陥を、気づかないというのは、一体どうした事情なのだろうか。私は或る重役上りの人がアインシュタインの相対性理論への反駁を書いたのを見たが、それには自説の賛成者として、海軍機関学校の一生徒の賛成の書信が大事そうに載せられていたのを、今偶々思い出すのである。私は機関学校の生徒の手紙が贋造であるなどとは決して思わない。丁度ジードが出会ったどこかの「平凡な大学生」その他が贋造ではないようである。
『修正』が著しく「雑然」たるものだという批評もあるようだが、この雑然たる所以は右のようなサンセリテそのものの粗雑さの穴ボコだら
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