ヘ、自分は主観的観念論だというヨーロッパのブルジョア文化人と共通な仁儀を述べているが、併し実際には、唯物論の精神を相当執拗に追求していて、唯物論の根本テーゼの一つ一つについて、可なり心を砕いて考えている。「観念論の根源」、「動物の心理」、「快楽讃」などがそのいい例であり、又ベーコン、メストル、エルヴェシウス、カント、ゲーテ、ダーウィン、ラマルク、ファーブル、ダ・ヴィンチ、ラスキン、サント・ブーヴ、ニーチェ、スタンダール、モネ、などに対する批評もそうだ。彼の生物学者風の知恵が、グルモンの唯物論(?)を要求している。彼はモラリストの中に立って、一つの新鮮な健康な存在である。何らかの唯物論者がデモクリトス以来、笑える哲学者であることを、彼は読者に思い起こさせるだろう。
[#改段]


 2 譬喩の権限


 六七年前になるかと思うが、現在京都帝大の教授である九鬼周造氏が長年のヨーロッパ滞在の後、帰朝して京都の哲学の先生に任じられたので、訪問したことがある。その時聞かされたのに、フランスの或るリセの先生であるアランという人が、青年の大した人気者だということだった。一遍読んで見たいと思っていたが
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