反対に、作家は多数者の希望、全国民の希望に応えている」(一七四・一七五)。だが後ではこう思いかえす、「一国の市民が一人残らず同じような思想をもつようになれば、……こうした精神の貧困を前にして何人が『文化』を語る信念をもち得るだろうか」(一三二)。「こうした事も政治的には有用なのかも知れない。がその場合は文化などといったことは口にしないで欲しい」(一四七)。「この『理想的なもの』から『政治的なもの』への移行は、不可抗的に一種の『転落』を伴うものであろうか」(一二八)。
かくて最初にヒューマニティーや文化からジードによって区別された「ソヴェート」は、ジードの「ユートピア」であった処の「自由」を満足させなかった。「ソヴェート」の「政治」はジードの「文化」を満足させなかった。ジードのアイディアリズムはソヴェートのリアリズムと撞着した。何等かの観念論(理想主義)者が現実の前に戸迷ったという現象は、驚くには値いしない事だし、又喜んだり怒ったりするにも値いしないことだ。初めからそうあるべきものだったのだ。読者は文化的自由主義者としてのジードの誠実を疑うことは出来ない。そしてジードの言葉の意義の重さ
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