でなく、自分の思想の様々な源泉に通じる要素が、先人に負う所のありそうな個所をば、極力抹殺し、マスクをかぶることに努めている、とさえ批評されている。所がA・コワレ(『デカルトとスコラ哲学』)などのいう所によっても、デカルトは決して古人や先輩の書物を読んでいないのではないのだ。ひそかに大いに読んでいる。必要な本が手に這入るまでは脱稿をのばしたとか、聖トマスの『スンマ・テオロギカ』やスアレスの本を携えて旅行に出たとか、という事実も挙がっている。
 ガリレイの裁判事件を聴いて極度に衝撃を受け、自分の著述活動に恐らく必要以上の政治的要心をしたらしいデカルトの性格と、今述べたこの著述態度との間には、恐らく関係があるのだろう。コワレも云っている。「彼は決して引用をやらない、やってもアルキメデスやアリストテレスの名を挙げるだけである。のみならず例えば明らかにアウグスティヌスやアンセルムスの真似だと思われると、自分がまだ読んだことのない先人と偶然な思いもよらぬ一致を見出したと云って、驚き且つ喜んで見せるという子供らしい又少し滑稽じみた芝居を始めるのだ。そして全くの詭弁や甚だ芳しからぬ説明を用いて、自分の説とその先人の説とが相違しているという苦しい区別を探し出すのである」と。
 だが彼のこういう一面の性格に関するらしいことは今問題でない。実は彼こそ最もすぐれたスコラ哲学の悉知者であった。彼の思想の源泉は、ありと凡ゆる処から来ている。恐らくデカルトは、一般にそういう文献学的な(スコラ的・学校的)知識において甚だ豊富な学者であったと推定される。そして特にスコラ哲学的教養に至っては、彼の「近世的」なそして独創的な哲学そのものの、根本的な素養をなすものだと云われている。彼はただそれをあからさまに、それとは示さないように心掛けたわけだが。
 デカルトの本当のオリジナリティーは、この伝承的な教養をそのまま使う代りに、これを分解しすりつぶして、自分自身の観念と言葉とによって、自分自身気のすむように築き上げ直そう、というその極めて懐疑的であると同時に極めて建設的な決心の内にあったと見ねばならぬ。そう見れば云うまでもなく、さっきから述べて来たような引用抹殺のポーズは、決して虚勢や何かではなかったことがわかる。そしてそれが云わば露骨に、見本のように現われたのが、他ならぬ『ディスクール』であったのだ。
 かくて私はデカルトの俗語によるこの哲学著述において、アレキサンドリア的・スコラ的・(それからもっと一般に種々の)文献学主義[#「文献学主義」に傍点]に対する最も近代的[#「近代的」に傍点]な批判の精神を見るのである。彼は「引用」というもののもち得る科学上の弱点に対する最も鋭い批判者である。学術的僧侶用語に対する最も大胆な挑戦者である(事実僧侶生活と無関係ではなかったに拘らず)。この文献学主義に対する反対態度は、すでにF・ベーコンの「劇場の偶像」の打倒のモットーとしても現われているし、更に溯れば、ルネサンスにおける「書かれた知恵」に対する「自然の知恵」の高唱としても現われている。だからデカルトはこの意味において最も近代的[#「近代的」に傍点]な哲学者であり従って又近世哲学[#「近世哲学」に傍点]の祖でもある、と云っていいわけだ。
 普通、デカルトの自我問題を以て、近世哲学は始まると考えられている。私は必ずしもこれに同意することが出来ない。近世哲学はF・ベーコンの「唯物論」を以て始まると見るべき世界史的理由があると思うからだ。しかし唯物論の最も重大な批判的要点である「フィロロギー主義反対」(これはすでに唯名論[#「唯名論」に傍点]の形から始まる)をば最も自覚的に意識的に企てた人としては、そしてこれを『ディスクール』という実例を以て実演さえして見せた人としては、デカルトを第一位に推さねばならぬ。デカルトのこの歴史的意義は、単に近世的や近代的であるというだけではない、これこそ正に現代的[#「現代的」に傍点]な意義だというべきだろう。
[#改段]


 ※[#ローマ数字3、1−13−23] 「ブック・レヴュー」




 1 森宏一著『近代唯物論』


 唯物論の発展の時代区分は一般の思想史の夫と同じく、ルネサンスを以てすることが出来る。ルネサンス以前の唯物論は主にギリシアのものであり、更には、アラビア哲学に於て見られる。ルネサンス以後は、時期を二つに分けることが出来る。初めの方はルネサンスからフランス唯物論を経て十九世紀の唯物論に至るまで。後の方はマルクス・エンゲルス・以降の弁証法的唯物論。後者は同じく『唯物論全書』の内に這入っている『現代唯物論』に於て永田広志氏が書いている。森氏の本書は之に対して、前者の時期、即ちルネサンス時代(コペルニクス・ティコ=ブラーエ・ケプラー・ガ
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