という社会学的な形態[#「社会学的な形態」に傍点]の下に理解していることだ。それだけに彼が夫に就いて行なう社会学的分析は普通の社会学的分析に較べてズット活き活きした内容をもつことが出来る。ここに価値があるのだと思う。なお趣味という観念を文芸学上の一カテゴリーとしていることは、趣味という言葉を出鱈目に使っている日本人にとっては甚だ教訓的だと考える。
(一九三六年・清和書店版・四六判一七一頁)
[#改段]
4 エス・ヴォリフソン著 広尾猛訳『唯物恋愛観』
(『唯物弁証法的現象学入門』)
この書物の価値はソヴェートに於ける性関係の諸事情を知ることが出来るということが第一であり、第二は唯物論による恋愛・結婚・婦人・其の他の問題の現代に即した解明を見ることが出来るということである。コロンタイの『新婦人論』(ナウカ社版)と並べることが出来るだろう。尤もコロンタイのに較べて内容はやや見劣りするのであるが。
併し方法上の問題があると思う。ヴォリフソン教授はミュラー・リアーのゲネオノミー(Geneonomie)(生殖学[#「生殖学」に傍点])なる学術名を採用している。併しこの生殖学なるものはミュラー・リアーの代表的なブルジョア社会学的[#「ブルジョア社会学的」に傍点]な比較法と切っても切れない立場を云い表わしてはいないかと思う。そうするとマルクス主義的ゲネオノミーとか唯物論的ゲネオノミーとかいうのも変なものではないかと思う。この方面の唯物論的研究があまり進んでいないから、こういう一時的な代用物も無意味ではないが、とに角本物でないことは忘れてはならぬ。
それから訳であるが、現象学[#「現象学」に傍点]というのは何かと色々考えて見たが、ヘネオノミー[#「ヘネオノミー」に傍点]の訳であるらしい。処でヘ[#「ヘ」に白丸傍点]ネオノミーは、ゲ[#「ゲ」に白丸傍点]ネオノミーの発音の仕違いだろうと思う(ロシア語ではHとGとが一つだから)。それにしてもなぜ之を現象学[#「現象学」に傍点]と訳したかは私には判らぬ。一寸気になるので読者への注意までに。
(一九三四年・ナウカ社版・四六判三二〇頁・部分訳)
[#改段]
5 M・N・スミット著 堀江邑一訳『統計学と弁証法』
スミット女史はソヴェート連邦に於ける統計界の実際家であるという。それだけのことから見ても、こ
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