「ずれて」に傍点]来て、其所で、ハイデッガーの哲学と、弁証法的神学とが、例えばキールケゴールと言うようなものによって、一つづきの関係に這入るわけです。ところで最近九州帝大の今中次麿氏などが指摘しているように、弁証法的神学が、全くファシストの哲学体系であるとすれば、ハイデッガーの哲学も亦、ファシスト的哲学への密接なる連絡を持っているということを想像するのは難くない。噂によると、ハイデッガーが最近ナチスに入ったということも耳にしないではない。
 ハイデッガーの哲学をいろいろな方面に使って見ようという運動が方々に行なわれている。そういうものから出て来た一つとして社会哲学というものも既にある。詳しい内容は見ないがレーヴィトの社会哲学は、ハイデッガーの根本概念を使って書かれたものであるのです。
 大体、独逸の最近の哲学がそれであるとして、それが日本の思想界に如何に反映したかの問題に這入ろうと思います。
 第一にハイデッガーを担いだのは、色々ある中でも京都の和辻哲郎博士である。氏の倫理学は、ハイデッガーが人間の存在は日常的な生活としては世の中に於ける存在即ち世間的存在であるという点を借りて来て、之を倫理学の根柢に置こうと考えているのです。之がハイデッガーを真正面から利用したという例で、他の一方は先き程ちょっと触れたハイデッガーに連関のあると考えられる弁証法的神学(危機神学)の思想は、西田幾多郎博士によって自分の哲学体系の相当重大な場所に位置づけられた。西田博士は其の自分の弁証法を、ヘーゲルの観念論的な弁証法であるとか、又、マルクス主義の唯物論的弁証法に対して、自覚の弁証法(即ち自己意識の弁証法)として主張するのであるが、此の場合に持って来られるのが、危機神学の弁証法なのです。西田博士は最近自分の哲学を恰も生の哲学として特色づけて居られるが、それは我々にとって非常に意味のあることです。
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B ヘーゲル復興の運動とハイデッガーとの連関については……
戸坂 ハイデッガーを動かしている形而上学的な意志は、直接に新カント派の哲学の没落として現われて来ている。だから、ハイデッガーもカント主義であるべきカントの哲学をさえ形而上学であると解釈しようとしている。で、ヘーゲル復興とは、形而上学の復興という意味を持っていると思いま
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