相Oからの距離、「特に云わばモスコウ的距離」から見ることは、狎れっこになった国内事情に対して新鮮な光をあてることでもあるばかりでなく、之を世界的なスケールから要約することでもある。而もこの本では更に、「日本型コンツェルンの一般的特徴づけ」の章とか、「日本型コンツェルンの政治生活」の章とかで見られるように、コンツェルンに対する着眼点を社会的政治的要約にまで高めることに、努力が払われている。例えば「日本型コンツェルンの特徴の一つは、資本の投下部面が種々様々であり、しかもこの種々様々な資本投下部面が非常に屡々コンツェルンの基本的生産と殆んど何らの依存関係もなく、また結びつきもないという点である。」こういう特色で行けば、当然この「日本型」が社会的に政治的に何を意味するかに注意を向けさせる筈だ。
 勿論資料の点ではセカンドハンドのものが多く、資料的オリジナリティーを期待するのは控えねばならぬ(鈴木茂三郎氏の独占資本に関する数著を最も屡々引用している)。だが私などが最も興味を惹かれるのは、資料のオリジナリティーの如何という、専門家的な一種の業績計算法に基く検討よりも、寧ろそれから出て来る社会的結論・社会的要約・の方である。こういう点で、特に私には大変有用な本だ。
 コンツェルン問題は今日目立って流行している。だが私の希望する処は之をもっと意図的に社会的政治的特色づけにまで高め、且つそういうものとして抽出することだ。だがそれは思うに、ファシズム論、「日本型」ファシズムに関する理論、に転化することに他なるまい。そこで日本に於けるファシズム論議が、もっと意図的に所謂コンツェルン論議の内に現下の資料を求めるべきは勿論のことだ。だが、コンツェルン問題の「結論」が、ファシズム問題でなくてはならぬということは、這般の最後の要点である。
[#改段]


 7 科学が文章となる過程


 J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』(藪内清氏訳)が重版になった。初め『新物理学の宇宙像』という題で訳されたのだそうだが、今度は原名(Mysterious Universe)の直訳にして出したものである。一九三〇年に原著者がケンブリッジ大学のレード講演に基いて書かれたもので、論文というよりも正に「エッセイ」というべきスタイルにぞくする。
 第一章は「滅び行く太陽」、第二章は「近代物理学の新天地」、第三章は「物質と輻射
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