る辞書は単に検索を目的とするだけではなく、却って通読又は翻読されることを目標とするものなのだ。引く辞引であると同時に読む辞典である。この点を徹底したものとしては、日本で最初の辞書だろう。
 だから之は単に辞典であるばかりでなく、又一つの総括的な単行本と考えられていいのだ。現代哲学に就いての総括的単行本である。現代哲学という意味は併し、単に現代の哲学を指すだけではない。現代にとって生きた意味を持つ処の哲学を指すのである。そして哲学と云っても学校式な意味に於ける所謂哲学だけを指すのではなく、一切の文化・思想・学術・の根柢を一貫する統一的な脈絡物を意味する。そういう意味での広義の哲学だ。で例えば階級論とかインテリゲンチャとか、経済学・言語学・考古学・ジャーナリズム・新聞・政治学・戦争・地理学・民俗学・及び土俗学・其の他其の他の項目が含まれている。この種の項目を副次的な参照としてでなく、正面からその哲学的ヴァリューに於て評価尊重したことは、この辞典が誇ってよい態度だと思う。こういう編集方針を取ったということは、この辞典の編集が可なり卓越した見識に基いていることを物語っている。
 かかる編集上の見識、それは又執筆者の銘々に共通な見識なのだが、この見識はそれ自身一つの哲学的態度を意味している。そこにこの辞典のもつ哲学的意義の要点があるだろう。少なくともかかる哲学的態度は、諸分科に分れた文化を総括し組織づけ得る処のエンサイクロペディスト的な能力を意味する。それが無意味な、何でも屋主義に陥らぬためには、思想の相当高度の蓄積発達を必要とする。でこの辞書に現われた哲学的態度なるものは、日本の哲学界・思想界・乃至文化圏・が今日相当発達したという事情に照応するものと推定することが出来るだろう。学術の技術的なアカデミックな水準と思想的な水準とを能く接合し得たものが、これを貫く見地である。
 従ってここに一貫する哲学的見地は、勿論相当に進歩的なものなのである。執筆者の顔触れから云っても、その大体の内容から云っても、そう云うことにさし閊えはないだろう。云うまでもなく各執筆者も編集委員達も客観的公正を厳守している。それは辞書として当然であり、又思想・学術・の建前からしても当然なことだ。見解の客観的公正を厳守するが故に、進歩的見地に立たざるを得ないわけだ。
 だが進歩的見地に立つと云ってもその進歩の
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