、氏に云わせると、ドイツや北ヨーロッパの科学者やエンジニヤーが烽火を挙げた新しい工業の精神であるというのであり、氏の所謂「第二産業革命」の声に応じるものであるというのだから、初めから氏にだけ特有な観念であると断じ去ることは出来ない。或いは寧ろ、こういう言葉によって、常識的に想像されるだろう内容は、要するに今日、誰しも一応は考えて見ている常識であり、工業が資本主義に横取りされているから之を科学の手に取り戻すということは、至極尤もな常識であると云った方がいいかも知れない。必ずしもドイツや北ヨーロッパの科学者やエンジニヤーの頭を必要としないのであり、又大河内氏の頭も必要としないだろう。それが、単なる観念である限りはだ。
 だが之が工業思想上の多少具体的な問題になると、勿論之を単にあり振れた常識的観念であるとして見すごすことは出来ない。実際にそういう観念を具体的に懐き得るものは、必ずしも世界の心ある科学者や技術家の凡てではあり得ない。ここに科学主義工業提唱者のオリジナリティーかイニシャティヴがあるのであるが、併し更に、この観念を日本の特有な条件について具体化し、更に又、之を実地に実現し、且つ又それが企画上の成功を齎し得ているという点になると、恐らく大河内氏の独創と見ていいものであろう。そういう意味に於て、科学主義工業の観念は、全く大河内氏のものにぞくする。
 氏の独創性は、つまり科学主義工業の日本に於ける実施に関する観念の内にあったわけだ。人も知る通り日本に於ける農村人口のパーセンテージは諸外国に較べて著しく高い方であるから、科学主義工業の日本に於ける実施は、農村をめぐっての科学主義工業の問題に帰着する。だから日本に於ける科学主義工業は、必然的に、「農村の工業」の問題に帰着せざるを得ないわけであり、そして農村が工業村や工業都市となる代りに、あくまで農業生産を本業とする所謂「農村」に止まる限りは、「農村の副業」の問題に結びつかねばならぬ。かくて氏の科学主義工業に関する啓蒙的な小著の名が『農村の工業と副業』となるわけだ。
 だが之は氏の最近の[#「最近の」に傍点]観点なのである。科学主義工業という観点は、全く最近のものであるらしい。なる程従来と雖も理化学研究所の工学的技術学的研究は、科学的[#「科学的」に傍点]であることを以て知られている。この研究所の研究成果の実施機関とも云う
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