」であり、之に「現代芸術と、その哲学」、「浪漫主義、と古典主義」、「ベルグソンの芸術論」、「ベルグソンの哲学」、其の他が続く。意義の最も深いのは勿論最初の主論文である。
 ヒュームの方法は隔絶主義又は非連続主義とも云うべきもので、無機的なものと有機的なものとの分離分裂が認められるように、生物界と倫理的宗教的価値界との間にも絶対的な分裂を認めねばならぬ。ヒューマニズム(之は勿論ルネサンス以来のものを指す)は第一の方の分裂を承認するに拘らず第二の方の分裂を承認しようとしない。ヒューマニズムによると人間と神とは同じ系列におかれる。ヒューマニズムは神の人間化であり、又同時に人間の神化である。そうした人間主義乃至擬人化がヒューマニズムだ。文学に於ける浪漫主義・倫理に於ける相対主義・哲学に於けるアイデアリズム(観念論・唯心論・理想主義)・及び宗教に於けるモダーニズムが、このヒューマニズムだという。
 人間と神との間の隔絶、絶対的分離は、原罪の観念による。ヒューマニズムはこの堕罪の論理を知らない。かくして倫理的宗教的な世界への思想の道を失って了っている。之が今日までの文化の特徴であると共に根本弱点で、今日この弱点が文化の進行と一緒に、漸く暴露されて来つつあるという。なぜかというに、ヒューマニズムに対立する文化意識は幾何学的精神[#「幾何学的精神」に傍点]であり、完成と厳粛と明確との硬質を有つものである。之によらなければビザンチン芸術も理解出来ないばかりではなく、現代のキュビズムさえが次第に理解出来なくなる。又更に近代的な機械の有つ美にしても、硬質性を欠いたヒューマニズムでは到底処理出来ないものだという。
 ヒューマニズムがこの眼前の崩壊にも拘らず、なお世人の心をつなぎ止めている所以は、ヒューマニズムによると、哲学の基準が満足(又は幸福[#「幸福」に傍点]と云い直してもいいと私は思うが)ということにあるからである。処がこの満足という素朴な基準は容易に打ち破られることが出来る。満足は自覚され心の表面に持ち出され客観化されたものではない。単に人々がそれを通して物を見ている処のものに過ぎない。それ故にこそこれは不可避[#「不可避」に傍点]なカテゴリーのように見えるのだ。併しこのカテゴリーを一旦客観化して見る時、心の表面に持ち出して見せる時、之はその不可避性を失って了って、単なる擬似カテゴ
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