学だったからのことだ。いや、その法[#「法」に傍点]又は法の哲学[#「哲学」に傍点]なるものが、他ならぬ客観的精神[#「精神」に傍点]の現われや現われ方の叙述に他ならなかったからだ。つまり社会はヘーゲルによると絶対精神=理念=概念の自己発展段階に他ならなかったからである。だから社会的なの[#「社会的なの」に傍点]が皆法[#「法」に傍点]にぞくすると考えられているので、私は之を、私が今私かに予定している道徳の観念に照し合わせて、敢えて道徳の世界と合致するものと見做したのである。
 併し社会が道徳的なもの、というのは法的なもの、と称することは、他でもない、例の倫理学の建前に他ならなかった筈だ。従ってヘーゲルの法の哲学による道徳理論は、実はまだ充分倫理学的な夾雑物から自由になっていない。之は倫理学と社会科学とが月足らずの双生児として癒着したようなものだ。夫は即ち、まだ本当に社会科学的[#「社会科学的」に傍点]な道徳の観念に行き得ないことを意味するわけだが、それと云うのも、ヘーゲルの例の理性=絶対精神=概念の独自な自己発展という体系に責任があったことだ。
 この点はだが、凡ゆる機会に吾々が反覆
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