向として、生命[#「生命」に傍点]の倫理学を数えておかねばならぬ。その一つはダーヴィン主義的倫理学であり(カウツキー前掲書参照)、その二つは例えばギュイヨーの夫だ(「義務も制裁もなき道徳の考察」其の他)。形式主義的倫理学に了る道徳観念の代りに、生命内容による闘争や生活意識の高揚やを導き入れたことがその特色であるが(特にギュイヨーの如きは道徳を道徳律中心主義的な又善悪対立主義的な観念から解放した)、道徳の歴史的発展[#「歴史的発展」に傍点]に就いての積極的な体系は全く之を欠いている。之は、この種の「生」の倫理学が依然として形式主義的倫理学と共に分つ宿命なのである。之はだから実は本当に内容的な[#「内容的な」に傍点]倫理学ではあり得ないわけだ。この点現象学的[#「現象学的」に傍点]倫理学其の他のもの(M・シェーラーの如き)になれば、もっと明らかだろう。
極めて最近では、倫理学を人間学乃至「人間の学」と見做すことも行なわれるが(例えば和辻哲郎博士)、こうした人間学[#「人間学」に傍点]は要するに社会を倫理[#「倫理」に傍点]に解消する代りに、之を人間[#「人間」に傍点]に解消するためのもの
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