まして新しい道徳観念の創造、そして又新しい道徳の創造、などについては殆んど全く無力なのだ。之は寧ろ初めから当然だと云わねばならぬ。なぜと云うに、今日の通俗常識はつまりはブルジョア社会に於て支配的な常識でしかないので、このブルジョア的の観念にぞくする常識的道徳観念が、同じくブルジョア社会の観念に立脚する所謂倫理学によって、批判され克服されるというようなことは根本的には、到底あり得ないことだからだ。

 だが今日の(ブルジョア)倫理学と雖も、決して近世になって初めてその準備を始めたのでないことは、云うまでもない。倫理的思想は古来、殆んど有史以来、凡ゆる民族に於て見出されるもので、倫理思想の一貫した発達を古代から今日に至るまで辿ることは、極めて容易なことと云わねばならぬ。少なくとも古代支那、古代印度(特に原始仏教)、ユダヤ乃至古代ローマ(原始キリスト教)、及びギリシアは、倫理思想の古代に於ける四つの大きな淵源であった。倫理なるものが、すでに述べたように社会の習慣と人間の性格とを意味したとすれば、つまり倫理思想というのは、人間の社会生活の意識的反映のことなのであって、これの割合直接な直覚的なそ
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