が注意すべきは、仮に道徳規範や道徳律が永久不変な形而上学物と考えられずに、歴史的に変化発展するものと想定されているような場合でも、この想定は多くは単なる想定に止まるものであって、実質的には道徳律を変化発展するものとは考え得ていないのだ、という点である。一体一定の内容を一時的にせよ固定させない限りは、道徳規範にも道徳律にもならないことは云うまでもない。処が道徳内容を一時的にしろそういう固定物に転化することは、つまりその後之を公式として運用するためでしかない筈だが、そうならば之は道徳を例の徳目運算におきかえることに他ならない。道徳律や道徳規範を専ら道徳として尊重するのは、この道徳律や道徳規範がなるべくそのまま[#「そのまま」に傍点]役に立つような詳細さを備えていることを要求することでなければならぬ。処がそういう一つ一つの事項にレディメードに役立つような詳細道徳律は、未だかつて生きた変化する道徳を云い表わし得た例しがない。所謂修身の徳目以外に事実詳細道徳律はないのである。
「万国のプロレタリエルは結束せよ」というのを仮に道徳律[#「道徳律」に傍点]として選んだにしても、之は決してそのまま徳目
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