てある処にばかりあるのではない、ということになる。丁度自称の良心は却って決して良心的ではないだろうし、俺は偉いと称する人間は必ず馬鹿であるというようなものだ。処が馬鹿な人間ほど、俺は偉いと自ら称する人間を本当に偉いと思い込むものだ。
 で、之こそ道徳だとみずから名乗り出るものは、実は道徳としてあまり尊重すべきものではなく、却って所謂道徳という領域には普通属していないものに、道徳の実質があるとも考えられる。之は私が道徳という言葉をそう勝手に拡大して使おうと欲しているわけではないので、事実、少し気の利いた常識のある常識は、道徳を今云ったようにしか見ていないのだ。例えばこの常識は勝れた歴史叙述の中に道徳[#「道徳」に傍点]を見る(その極端なものは「春秋」や「通鑑」の類だろう)。又例えば衣装さえが道徳を象徴する(カーライルの『サーター・レザータス』を見よ。――或る批評家はこの衣裳哲学の著者の極めて不道徳にも古びた帽子を見て、彼が衣裳に就いて哲学を語る資格を有たないことを主張した)。併し何より知られているのは、芸術作品に於ける、特に直接には文芸作品に於ける、道徳というものだろう。それが仮に芸術の
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