の道徳の世界[#「一領域としての道徳の世界」に傍点]なるものは、終焉せしめられる筈だったからだ。にも拘らず之はなお、領域道徳という通俗常識をば、想定し仮定し利用している。だからまだ之は通俗常識のものだと云うのである。
 処がこうした領域道徳の観念だけが、実は真の常識[#「常識」に傍点]による道徳観念の凡てではない。一体極めて通俗な常識は、とかく何かと云うと、道徳というものに就いて拘泥する、事物を道徳的に角立てたがる。審美的判断よりも所謂道徳的判断の方が、下し易いし興味も多い。つまり通俗常識とは通俗道徳で物を考えたり云ったり生活したりすることだろう。――だが少し教養のある常識(教養は必ずしも教育と同じではない)は、道徳というものをもっと自由に[#「自由に」に傍点]理解しているのが、世間の事実だ。既成の所与の所謂道徳などに拘泥しないことこそ、或いはそういう拘泥を脱却するだけの見識を持つことこそ、道徳的だ、とこの常識は考えるだろう。道徳々々と云うことが道徳ではない、丁度人格者というものの人格程貧困なものはないように、とも考えられる。道徳は、所謂道徳という名がつきレッテルがはられ看板が掲げられ
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