真理として持ち出されるのを常とすることには、一つの事情があるのである。社会の支配者がその社会の規範をあくまでも保持しようとする処に、道徳という言葉の御利益が必要なのである。つまり道徳が現実にそうした階級規範[#「階級規範」に傍点](もはや単なる社会規範ではない)として機能していればいる程、益々社会規範は単に社会規範としてではなくて正に道徳として神聖化され絶対化される必要があるわけで、ただの社会規範ならば、道徳がそういう社会規範だという説明を、そんなに恐れる必要はなかっただろう。
それでこういう結論になる。社会が階級社会である限り、道徳とは階級規範に他ならない。之が階級道徳[#「階級道徳」に傍点]乃至道徳の階級性[#「道徳の階級性」に傍点]ということである。そして社会の階級的変動(社会の凡ての根本的変動は階級的変動に原因する)は、この階級規範たる道徳[#「道徳」に傍点]の変革を必然的に結果する、という結論だ。――ここでは階級的に有益なものが道徳的で、階級的に有害なものが不道徳的だ。処が階級はいつも階級対立に於てしかあり得ないのだから、道徳は今や二つの体系に分裂する。ここにブルジョア道徳
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