まい。芸術は芸術であって道徳とは別だという。それでは芸術に於ける道徳=モラル程、無意味なものはなくなるわけだ。内容は道徳でも形式は道徳ではなくて芸術だと云うのだろうか。だが道徳の形式とは何だろう。それはもはや常識が答え得る問いではないかも知れないが、自由意志の自律に従うとか、目的意識的行為の形を取ったとかいうことだろう。処が自律に従わなかった場合も決して道徳の領域外にあったのではなくて、却って反道徳・不道徳という刻印を捺されるために、あくまで道徳の領域の内になければならぬ。実践的行為の形を取るということが道徳の形式でないことは、芸術的創作だって実践的行為だし、単に善いか悪いか何かを考えただけでも立派に道徳的な問題にぞくする、そういうことを考えて見れば判ることだ。――道徳なるものは、だから生活の一切の領域に、或る仕方に於て着き得るのだ。どういう権利でどういう仕方で着くかは、後に見ようと思うが、とに角その意味に於て、道徳とは生活意識そのものを意味するのだと、仮に云っておくこととしよう。念のため断わっておくが、道徳は確かに一応、常識がそう想定している通り、生活の一領域のことなのだ。にも拘らず
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