にはなっても、何等の真理も持たない。こういう空々しい心理的説明で、何か事件の真相をつかんだと考えるような検事(もし新聞のいう通りなら)も検事なら、それをそのまままことしやかに書き立てた記者や編集者もどうかしている。而も新聞が之をドストエフスキーやトルストイによる検察や裁判の文学的検討に比較するにいたっては、完全なナンセンスと云わざるを得ないだろう。
 血の迷信は少しも深刻な哲学でも文学でもなくて、実は極めて皮相な空文句なのである。ヒトラーがドイツの愚民を如何にこの血の迷信によって引きまわしているかを見れば、それはよく判るだろう。例えば癩患などは絶対的に遺伝するものという常識が一頃抜くべからざるものとなっていたようであるから、そういう場合には血の迷信も犯罪の心理的動機としては必然性があるかも知れないが(例えば男三郎の場合)、呑んだくれだとか放蕩だとかいうことの生理的遺伝という観念が、犯行の絶対的な動機になるというようなのは、何といっても造りごとといわざるを得ない。もしそうでなければ、もう一歩踏み込んだ特別な事情がそこに条件となっているのでなければ嘘だと思う。
 私は何も例の妹娘が故意に嘘
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