ると、こういうものを「常識」として受け取る読者も少なくないのかも知れない。哲学――冥想――星――月光――神秘――遁世、こういう一連の常識的連絡は、今日でもなお床屋的社交界などでは通用するのかも知れない。いやその新聞の記者や編集者は、確かに通用すると考えたに相違ないのだ。
無論現代は藤村操時代ではないから、今日の第一線の常識としてはこんなものは通用しないのは断わるまでもないのだが、問題は新聞の社会面などに現われる、社会現象に対する「常識」的な理解や説明や批評ということにあるのである。
両親と妹とが共謀して日大生を謀殺したというセンセーショナルな事件がかつて起きた。社会では両親はいつも息子や娘を可愛がるものであり(従って子供は親孝行をする義務があるというところへ行くのだが)、妹は女で年下なのだからいつも兄を大切にするものだと決めてかかっている。つまり家庭は少なくとも相愛し合った親子関係が中心で出来ていると仮定している。そこでこの事件は極めて大きなショックを、世道人心に与えたわけなのだ。
家庭についてのこの常識は、実は認識ではなくて、願望や理想やまたは社会的要求に過ぎないもので、この常
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