しまいとしても、それはただの観念的な空力みに過ぎないわけで、やがては満州に対して資本も投下したくなるし、通信関係も正式に結ばなければならなくなる。事実の前には一切の理屈は全く無力なのだ。列国の満州帝国承認は、列国のソヴェート・ロシア承認と同様に、恐らく単に時間の問題に過ぎないだろう、と一応云うべきだ。
 で世間の学者達は、日本のこうした強力外交[#「強力外交」に傍点]に特有な論理を、ヒョッとすると、ニーチェやソレルの哲学の内に求めようとするかも知れない。日本の最近のこの外交思想がファシズムの現われだと見るとすれば、それはムッソリーニの哲学と無縁ではないわけだが、ムッソリーニがニーチェとソレルとの間接の弟子であることは広く知られている。もし又ヒトラーにも哲学があるとすれば、フィヒテなどがその拠り処になっているわけで、フィヒテも亦一種の哲学的行動主義者であった。
 だがこの力の哲学による解釈は、実はわが日本帝国の数年来の外交論理を必ずしも正確に説明しているものではない、ということを注意したい。日本が満州帝国の承認を強要する理論的根拠は、先にも云った通り、事実[#「事実」に傍点]の前には論理
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