は自然的にそれに相応した良心意識を生み出す代りに、却って単に良心意識を強要することがその機能になっているし、良心意識の方は習慣風俗を批判する代りに、習慣風俗におもねる事がその義務になっている。
要するに現代では、社会の認識[#「認識」に傍点](之は無論科学的でなければならない筈だ)を、直覚的な形で代表するという意味での、本当の道徳意識は存在しないのであって、従って道徳というと、何かお説教じみた不真面目な内容のものだとしか考えられないのである。
普通、道徳は品行問題と結びつけられて世間の興味を惹いている。或る尺八の名手の婦人関係は、彼の品行に関係するが故に非常にセンセーショナルな道徳問題となったが、之に反して文士の賭博は直接彼等の品行とは無関係なので、道徳上の問題としてはあまり厳粛に取り上げられない。笑って済ませる事件だと考えられているのが事実である。
だが、此の事実には相当の真理があるので、之は道徳が要するに節操[#「節操」に傍点]に帰着するという一つの知識を示しているものに他ならない。尤も節操というものをウッカリ考えると、つまる処男女の肉体関係以外の問題ではなくなるのだが、之は
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