と並ぶ処の一つのイデーとなる。昔から善といったのは本当はそういうイデーのことだ。で、科学が真理[#「真理」に傍点]というイデーを対象とするように、道徳[#「道徳」に傍点]というイデーを対象とするものが文学だ、ということになるのである。尤もイデーという字が気に入らなければ引っこめていいが。
つまりこういうことになる。科学は科学的真理[#「真理」に傍点]に於てなり立つ、之に反して文学は文学的道徳[#「道徳」に傍点]に於て成り立つ。文学的道徳とは要するに文学的真理、所謂「真実」というものだ。私が云おうとしたのは、単に、この文学的な「真実」についての認識論みたいなものに他ならなかった。そのために之を道徳という名の下に取り扱ったのだ。
文学も科学と同じく実在の一種の反映なのだから、両者のつながり、つまり真理と道徳とのつながり、は重大である。だが夫は省こう。その代り一つ注意しなければならぬ点は、文学に就いての道徳の説が、身辺文学や通俗な意味での私小説(私文学)の説に利用されては困るということである。道徳も自我も、文学的認識の方法[#「方法」に傍点]に就いてのことであって決して対象についての特色
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