をなぜ考えねばならぬのか判らぬ。
で軽風俗文学におけるモラルといえども決して人民派的な意味でのモラルに止まることは出来ないだろう。モラルの稀薄な風俗物は一寸は面白いようでも、忙しい時には官能を荒廃する娯楽のようなものとして虐用されるものだ。それは不快な習慣に堕ちる。そうなれば頽廃だ。
普通大衆と呼ばれるもの(この重風俗的? な観念)には事実、観点の規定の上で色々の困難が伴っている。だから人民という言葉は一つの新しい解答を意味してはいるのだ。併し例えば人民戦線には組織と指導的な中核とがあって、それがその政治的モラルを支えている。市井の人民的風俗にも、組織と指導的な中核としてのモラルが必要な筈だ。
五 モラルと風俗[#この行はゴシック体]
モラルのハッキリした文学で風俗物にならないものは勿論甚だ多い。寧ろ普通にモラルといえば、風俗的な肉体を持たない作品の内に求められるのを常としたとさえ云ってもいい位いだ。モラルが無雑作に心理か何かのように考えられる所以である。そうしたいわば純粋モラルは大体私小説的なもので、取り合わせが少し変なのを我慢するとすれば、心理的なモラルの例としては
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