論理は事物を実際的に実地に処理するためではなく、反対に事物のもつ意味だけを専ら解釈するために、最も発達した考え方だったのである。
西田哲学に見受けられる東洋趣味(無・神秘主義・禅味・其の他)のおかげで、西田哲学を東洋の哲学だと考える人がいるが、之は表面だけを見て核心を知らない人の見解だ。況して之を封建的イデオロギーの哲学だと考えることは単なる当て推量に過ぎない。本当に東洋のものらしく見え、又封建的イデオロギーの哲学らしく見えるものは、今日では所謂ファッショ哲学[#「ファッショ哲学」に傍点]の数々でなければならないのである。今日の日本の所謂ファッショ哲学は、最も露骨に非科学的なものだが、その第一の特徴は精神主義[#「精神主義」に傍点]にある。之は外来の物質文明(?)に対して精神文明[#「精神文明」に傍点]を対抗させる積りであるが、物質が何だかも精神が何だかも判らないのだから、この点哲学としては歯牙にかけるに値いしない。第二の特徴はその農本主義[#「農本主義」に傍点]にあるのだが、之は日本の神話と日本の産業上の特殊事情とを混同した上に、土や米の礼讃に帰着するのだから、真面目に相手になるこ
前へ
次へ
全451ページ中442ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング