或いは生の哲学のこうした横溢に対して、ただ一つの特徴を告げておくことにする、曰く、凡庸な甘いインテリ青年に相応わしい哲学が之である、と。
 所謂生の哲学と並んで、日本のブルジョア・インテリゲンチャを魅了しているものは西田哲学である。この哲学は思想としてはまだ殆んど利用されていないにも拘らず、世間の之に対する好尚には著しいものがある。西田哲学の流行(?)は、一面に於てはその独創性と思われるものと夫に連絡があるように思われている東洋趣味とによるが、他方に於ては常識への文芸的な訴えにも基いている。処が西田哲学の本質は決してそういう処に横たわるのではない。少なくとも後期の所謂西田哲学の特色はその独特の論理[#「論理」に傍点]乃至哲学方法[#「哲学方法」に傍点]にあるのである。無の論理[#「無の論理」に傍点]というのが夫であるが、この論理は一二の例外を除けば決して広く世間で使われているものではない。世間では西田哲学を殆んど全く文芸的なファン意識で受け取っている。尤も例の生の哲学や人間学も、大体そうだったのだが。――処で無の論理は今日のブルジョア観念論の極致とさえ云うことが出来る。というのは、無の
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