る。
処で最初私は、哲学に就いてはその所説に殆んど一致したものを見出さないように云ったが、併し少なくとも今日の唯物論(弁証法的唯物論)は、国際的に云ってさえ、人々の間に積極的な共同のコースが横たわっているという意味で、客観的な一致を有っているのである。処が今日の観念論相互の間ほど、差異や食い違いや無関係状態が甚だしいものを見ない。
無論仮にも学問的な形を取る以上、どんな哲学でもいつも研究の途上にあるものだから、そこから当然、或る程度の出入りや交錯は避け難い。之をさえ均して了おうとすれば、研究上のテーマの積極性というものは失われるに相違ない。だが何と云っても今日の観念論の陣営の内部の乱麻のような混乱は甚だし過ぎる。――この現象は一つには確かに、観念論の伝統の系統が複雑であることに由来している。夫があまりに複雑であるために、今日に至るまでにそれの整理される余裕がなかったばかりでなく、今日では無理にそれが繊細化される必要に迫られた結果、益々多岐に分れて拾収出来なくなったのに由来している。だがこの伝統の複雑さ自身は何に原因しているかと云えば、それは観念論そのものの根本性質から来ていることを
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