否定をこそその本来の面目としている。つまり唯物論の哲学的主張が、宗教上の各種の信仰[#「信仰」に傍点]を許容し得ないのである(但し宗教の方がそれを気にかけようがかけまいが事情は一向変りがない)。尤も純粋な観念論と目されるものはそれ程沢山ないように、純粋な唯物論も多くないのであって、唯物論的な哲学でも、一種の宗教肯定説を結論しているものは珍しくないが、夫はその点に於て唯物論哲学としての資格を欠いていると云うまでだ。
で結局、唯物論から云えば宗教はその本来の面目を認められ得ないもので(宗教的思想に付着している各種の哲学的思考の断片については又話しが別だが)、宗教的世界観を許容し得るものは少なくとも観念論的哲学以外にはないということになる。唯物論から云えば、観念論は歪曲された世界観の科学又は歪曲された世界観の歪曲された科学(?)であり、之に対して宗教は、逆立ちにされた世界観[#「逆立ちにされた世界観」に傍点]に他ならない。と云う意味は、人間が自分で創案した神によって却って支配されると考えたり、生活を死ぬこと[#「死ぬこと」に傍点]から規定したり、現実を空想的な来世によって決めたりする世界観
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