道的神学精神が働いているのである。尤もこうなると、もはや世間では哲学とは呼ばない。ブルジョア哲学が宗教化したともいえなくなる。だが生長の家で色々と手当り次第にヨーロッパ哲学を利用しているのを見れば、この種の擬神道インチキ宗教も亦、一個の哲学と見なされていいかも知れない。そしてこの種の思想体系が、如是閑氏の表現をかりると、ナポレオン的世界征服の代りに、大本教的世界征服を企てているという意味に於て、擬似ファッショ思想体系であることを、注目すべきだ。この擬似ファッショ哲学も亦、日本のブルジョア哲学宗教化の一つの場合だろう。
 だが、日本のアカデミー哲学は、主として外国特にドイツから受け取ったものだ。最近のドイツ哲学が一種の不安の哲学として、観念上の世界秩序の問題から脱落し、且つ一種の不合理主義に道を求めて行きつつあることは、日本にも殆んどそのまま反響を呼び起している。それから比較的翻訳的な反響を持たない独自性を有ったブルジョア・アカデミー哲学に於ても、キリスト教や仏教のカテゴリーを特別に有効な合言葉とするという傾きは、盛大である(アガペや菩薩道など)。このブルジョア哲学の宗教臭化は明らかにフ
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