からというばかりではなく、その世界観が科学的に冷静公平でなくて寧ろ信仰と独断的信念に近いから、というのである。之によって一体宗教というものが良いというのか悪いというのか、私には意のある処が判らぬ場合が多いのだが、とに角、マルクス主義は信仰だから宗教だというらしい。だがもし信念を有つということが宗教なら、一切の科学者の主張は宗教的なこととなる。もし信念と信仰とが違うならば、なぜマルクス主義は信念ではなくて信仰だと云うのだろう。
 主観的な個人的意識が、信念であるか信仰であるか、之はプロテスタント風に考えれば問題にならぬことであり、又之をカトリック風に考えるなら、もはや個人の主観的な意識の問題ではなくて、教義や儀礼の問題に解消する。そこで個人の心情に基くと考えられるモラル的宗教内容は、この際どうでもよい。安心立命したいものはするがよく、事実迷っているものは迷うがよい。その限り之は私事である。というのは世界の秩序とは関係がないのである。之は宗教学的に云うと重大な宗教現象であるが、私が今問題にしている範囲ではネグレクトして構わない性質を持っている。もし単なる心情における信心がそういうものとして
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