て、宗教復興は全くジャーナリストの類推的な思いつきでしかなかったかも知れないのである。日本民族宗教が、教育・政治・外交・経済又哲学・文学に於てさえ復興・台頭しつつあるということが、日本の「宗教復興」全般の本質なのだ。
だから「宗教復興」の現象を、社会に対するプチブルの不安の意識から説明することは、嘘ではないとしても、決して事物の本質を衝くものはないのである。軍義的分子と官僚とを引き具する所の日本型大ブルジョアジーの刹那的な安心[#「刹那的な安心」に傍点]の表現こそ、日本特有の「宗教復興」の本質をなす。――無論、大ブルジョアのこの刹那的な大安心は、小ブルジョアにとっては却って不安の種にもなろう。丁度積極的な階級にとっては夫が憤怒の種にならねばならぬと同じに。
二 宗教団体法案はなぜ必要か[#この行はゴシック体]
議会に提出すべき「宗教団体法案」の草案が文部省の手によって決定された。いわゆる宗教法案なるものは宗教家の側からする多年の要望だったのであるが、しかしそれと同時に信教の自由の建前からいって、宗教そのものを官庁が取締るかのような宗教法案は、宗教家自身の感情からいってもす
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