れがインチキであることによって忽ち宗教となる、というわけだ。生長の家が出版企業と宗教とを結びつけたがゆえに初めてインチキ宗教になった、のではない証拠には、たとえば出版企業と出版報国とを結びつけてもその報国活動がインチキにならぬことを見ればいい。
さてこの辺から、少なくとも宗教のインチキ性が何かということがわかりかけて来る。インチキに見えるのは、その荒唐無稽な精神主義、その意味における迷信[#「迷信」に傍点]と、その迷信が何かの条件で社会的な価値として通用[#「通用」に傍点]しているという点とにあったのである。だが宗教的迷信に正信[#「正信」に傍点]を対立させ、真理[#「真理」に傍点]を押し立てるらしい友松円諦氏等の「真理運動」派は、果して荒唐無稽な精神主義ではないのか。なるほどこれは、自然科学の成果を無視しないどころでなく、大いに尊重して見せるという点において、即ちそれを上手に問題圏外におくという点において、「ひとのみち」や「生長の家」の反自然科学的迷信に較べると確かに「真理」だろう。だが、社会の真理化[#「真理化」に傍点]――これはつまり精神による真理活動のことだ――によって、一切
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