称号に値いすることとなる。そして宗教運動が資本主義的ジャーナリズムにすりかえられるという処にも、食い違いがあるので、ここからも重ねてインチキの称号が尤もに見えて来る。
二[#「二」はゴシック体]
元来インチキという俗語の指すものには二つの場合がある。第一は意識的に相手の眼をゴマ化すことであり、第二は知らず知らずに恐らく自分の主観的興味から、事物の客観的な公正を無視することである。自己宣伝のインチキにしても、自分の社会に於ける比重の小さいことを知るが故に之を大きく見せかけようとする場合と、自分の社会的比重を客観的に見境づけ出来ないために、当然のことのように自分を誇大に示そうとする場合とが、あるだろう。後者の方が寧ろ不健全な憐むべきインチキ性だが、いずれにしても、客観的なプロポーションの無視から来る食い違いが一般にインチキというもので、この食い違いがバレると、初めてインチキ性が露出するのである。
宗教、特に類似宗教のインチキ性も亦、正にこうした云わば数学的とも論理的ともいうべき性質のもので、之は社会の常識的通念(之は主として平均値的に小市民の常識に相応するのが普通だ)にとって
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