。経済連盟のブルジョア代表達は、何と云ってもこのブルジョア社会の当の主人であり選手なのだから、先生や文部省のお役人とは違って、教育というものを社会に於ける一つの実体として見る術を心得ているわけで、被教育者に対する人間教育というような抽象的なセンチメンタルな教育学的イデーなどからは、立派に解放されている。ブルジョア社会に於ける教育を最もよく知るものは、教育家でもなければ教育行政家でもなくて、正にこのブルジョア代表の卓見なのである。
だがこの卓見の内容には色々の動機が連関して含まれている。ブルジョアジーによれば、学校乃至大学は、ブルジョアジーの広義に於ける使用人を生産する施設に他ならない。官吏を養成するのも学者を養成するのも、サラリーマンを養成するのも、つまり社会に於ける知的な活動分子を生産することに他ならず、夫がブルジョアジーが広義に於ける使用人生産の一つの場合に他ならない。之が彼等によれば、実際社会に役に立つ[#「実際社会に役に立つ」に傍点]教育ということの意味だ。
処がこの実際社会に役に立ち方が、時代の生産条件と共に変化する。一頃の日本では、生産の資本家的組織にとって最も必要だっ
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