ける教育的効果の多少のものはどのような場合にもなくはないが、それを理由にしてこの教育の全体を是認することは出来ぬ。
 でこういう理由から、私は現代の学校教育(下級教育から高等教育・大学課程までも含めて)はなるべく早く切り上げて、少しでも早く社会教育と之に基く自己教育とを被教育者に任せる必要があるとさえ考えるのだ。――ただしここで条件をつけておかねばならぬのは、こうした社会教育乃至自己教育を、卒業後もなお依然として、否益々、有力に又誤たずに実施し得るだけの能力と見識とを与えることは、あくまで学校教育の責任であり、或いは寧ろ、学校教育を利用[#「利用」に傍点]しながら之を蝉脱すべき、高等被教育者の自己責任だ、ということだ。学生や生徒は、どんな教育方針の下にあっても、少なくとも大学や学校に於て、研究法と勉強法と読書法とを獲得すべきなのである。
 処が又、この社会的教育なるものが、今日の日本では学校教育以上に不誠実なものなので、却って之をはね除けつつ之を利用[#「利用」に傍点]するだけの見識と能力とを、学校教育から吸収せねばならぬ位いだ。――だからこうなると、実は、強ち学校教育の年限さえ短縮す
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