、学生は市民的地位の獲得に、その共同の一般的なユーニヴァーシティらしい利益を直覚するのである。現今の大学の一種の静寂はここから理解されるだろう。
 学生は就職の単なる方便としてしか、その学生生活を幸福に感じることが出来ない。それ以外の実質的な要求を有つ時(どういう幻想を有つかは今問題でない)、学生生活は完全に不幸だということが一応の事実である。――だがそれはとに角、批判の自由や学の権威は別として、学生は現在の大学に依って、曲りなりにも広義の知能的技術は獲得出来る、という事実に今何より注目する必要がある。広義の技術こそがインテリゲンチャの主体的な特質で、そこからインテリの一切の規定と使命とが導かれねばならぬからである。そしてこのインテリジェンスの養成こそ社会の近い将来になると必らず必要だったということの判るものなのである。インテリゲンチャを盲人蛇におじぬ底の楽観的な能動説によって規定することが尚早の誤りであると共に、之を自己自身に無責任な悲観的な困惑説で以て片づけることも、時節柄由々しい危険な誤謬なのである。

   三 先生商売論[#この行はゴシック体]

 都下の新聞によると、歌舞伎
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