味する社会的部署の安定によって、もはやそれ以上の官僚的幹部を養成する必要を持たなくなった結果、帝大は改めて単なる市井の授職機関にまで変質したのである。私大も亦初めから市井のあまり活発ではないにしても授産場であったのだが、この市井のサラリーマン市場が、官僚市場と対立する必然性を失った以上、帝大と私大とは、今では殆んど同じブルジョア社会の市井的な授産場として、同じ本質のものになって了ったのである。
だから、私立が帝大並みに昇格したのは、実は私大が帝大に屈したのではなく、云って見れば帝大が私大に屈したようなものなのである。――だが学術授産場という資格に於ける大学にして見れば、大学そのものとしての比重の大きいのは矢張り帝大なのだ、そこで帝大を屈服させた私大も、その大学の学術機構という内容から云えば矢張り帝大に屈して之を模倣せざるを得ないのであり、かくて私大は今日、二次的な亜帝大として繁栄しつつあるのである。之はローマを征服することによってローマ文化に征服されたヴンダル人のようなわけだ。
実際今日の私大は、善い意味に於ても悪い意味に於ても、帝大と本質上少しも変る処はない。官吏や半官立的銀行や
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