である。所謂モラルを云々する文学者には、この結合に何等の関心を払っていないように見える人が甚だ多い。モラルは何かただの身辺的な私事としての心理のようなものだと考える類がその例だ。処がそんなモラルは実は、お天気加減一つで吹き飛んで了うだろうような空疎で薄っぺらなものだ。吾々はその深刻そうなポーズに惑わされてはならぬ。本当に文学的な真実である処のモラルは、何よりも卓越した、かつ行き届いた、純粋な客観的認識[#「客観的認識」に傍点]によらなくてはならぬ。社会機構の、又自然のヴァラェティーの。モラルは科学的認識を自分という立場にまで高めたもので、現実の反映としての「認識」の特殊な最高段階以外のものを意味するものではない。その意味では科学の対象が真理であるように、文学の対象はモラルなのである。
で考えるのに、文学作品(創作・評論)及び文芸現象を評論するにも、いつもこのモラルなるものが観察の焦点でなければならぬ。モラルは倫理とも云われているし、又思想と呼ばれてもいいし、又之を世界観と呼び直してもいいのだが、併し文学の内に部分的に含まれている処のそんな倫理や思想や世界観だけを取り出して見ることが、
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