の「社会的」位置をハッキリさせることに他ならず、学生の一種の技能者・技術者としての社会的使命を自覚することなのである。之が学生という「社会的カテゴリー」に忠実なる所以なのだ。
学生に関する学生自身にとっての一切の問題は、終局に於て、この「知能的技能者としての学生」というカテゴリーから見て、解決されねばならぬと私は信じる。この意味に於ても「技術の獲得」ということは、学生の社会大衆的な使命だ。学生はそのためには願ってもない境遇だ、大衆は学生に対して(馬鹿書生は別として)、この知能的技能者を求めている。大衆自身の未来の社会のために、この要求の前に学生生活の見透しとモラルとは明々白々ではないかと思う。
以上すでに書いたり云ったりして来たことであるが、最後に一つのことを之につけ加えたい。夫は学生にとっての自意識[#「自意識」に傍点]と大衆性[#「大衆性」に傍点]との結びつきである。と云う意味はこうだ。学生は一種の知能分子である。知能=インテリジェンスの特色は、夫が最も自覚[#「自覚」に傍点]され易いと云うこと、自意識を必然的に随伴するということだ。かくてインテリゲンチャにとっては自意識なるも
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