マ青年・スポーツ青年・ダンス青年などに分類出来るだろう。だが之は大して有用な区分とも思われない。――矢張り大事なのは、現代青年の社会的無能力という概略の特色だ。
併し、現代青年が社会的無能力者だと云うのは、略々無産大衆が、労働者や農民が、社会的無能力者だということになぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]て、そう云うのであった。無論このなぞらえ方は、科学的に精密に行なってはいないから、現代青年と無産大衆とのこの譬喩には、ガタや隙がある。だが、それにも拘らず、やはり、現代青年は無産大衆のようなものだ。処で現代の無産大衆の弱さは、之を自覚すれば忽ち強さに豹変するものであることを忘れてはならぬ。そこで現代青年でも亦、その弱さの自覚は、事実上その強みとなることが、概略可能だと云うことが出来よう。尤も無産大衆はその組織を有つ、又は有ち得る。夫が彼等を強くするのだ。現代青年は現代青年として組織を有てるか。だが之は話しが変になった。青年が青年としての組織を造るとか造れるとかいうのは変である。青年を強くするその組織は、青年であるが故の組織ではなくて、無産大衆に類するものであるが故の組織でしかありえない筈だか
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