の壮年乃至老年に対する自然的特徴は、現代の社会的横車によって押し切られて了っているのだから、今日ではもはや、単なる青年を語ることも出来なければ、又単に青年を壮年其の他に対比することも出来ない。今日はそういう事情に立ち至っているのである。無論青年と壮年とは年の上では異った顔をして生活しているが、併しこの両者を比較することによって吾々は何を得るかと云うと、この両者が銘々担っている若い自分の時代、又は若かりし自分の時代、の特徴の対比を得るのは論外として、その他に、社会の全く相反した二つの姿の対比を得るのである。一つはどうにかやって行ける社会の姿で、一つはどうにもなりそうにないという社会の姿だ。前者が壮年ならば、後者が現代の青年なのである。
現代青年は青年らしさを失った、吾々の若い頃はもっと勢があった、青年は堕落した、という風に云いたがる人は非常に多い。青年よ、宜しく酒も飲み、リーベもせよ、コセコセした社会的関心などは振り捨てよ、と説く、老文学書生先生もいた。その社会的関心と云うのがマルクス主義経済学のことなのか、暮夜に先輩の門を敲くことなのか、こう云う場合には往々見境がつけられていないよう
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