き起こす目的因とでも云うべきこの青年的理想は、この意味では却って一種の「理性の狡知」であり、摂理の「見えざる手」だとも云えるだろう。この理想や理想主義は決して堅実なものではなくて薄弱なものであり、その意味ではこの理想家的青年期は堅実でなく薄弱なものだが、併し夫をすぐさま病的に薄弱なことや不健康な不堅実さである、と云うことは出来ない。青年は肉体的発達期にある。それを貫く生命の特色は寧ろ健康ということだからだ。
青年なるものは一般的にそうなのだが、処が時代々々によって異る青年の社会的生活条件は、折角のこの一般的特色を、一たまりもなく吹き飛ばして了うことも出来るのである。――青年は認識不足なものだ、若い者は誤ちが多い、と云われる。それは一般的にそうだ。だが一体今日の壮年は認識不足でないのだろうか。そして今日の老年はどうか。なる程今日壮年や老年の多くは相当うまくその社会生活をやっている。今日の青年は壮年になった処で到底ああはやれまいと思われる位いだ。この資本主義社会は矛盾に満ち、貧困と失業との波に洗われているとも云う、世渡りはムツかしいとも彼等は云っている。そのくせ彼等はとにも角にも相当うま
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