ものへの関心という廉で、教養の欠乏であるかのように軽蔑されるものだ。発見は初の内はなくてもがなの好事や堕落とさえ云われるものだ。だが新しいものを発見し得ない人間は、決して自分の内の関心の発展的なシステムを持っていない人間だろう。もしこの人間が関心の組織的発展力を持っているなら、当然現われるに相違ない健全な連想力[#「健全な連想力」に傍点]によって、関心と関心との間の関係が追求されるに相違ないから、関心体系の振幅は自然と肥りながら拡大して行く筈だ。そうすれば未知のものに就いても、夫々の体系に相応しい見当づけ[#「見当づけ」に傍点]が行なわれるに相違ないのである。この見当づけの探照燈の下に照らし出された新しいものは、新しい関心対象に値いするものとして、初めて発見[#「発見」に傍点]されることになるわけだ。情意上の見当づけ・見透し・(予見・先見)というものが、新しい意欲を動機するのである。夫が新鮮な関心・興味というものだ。
 だからつまり、教養のあるなしやその程度は、持たれる関心の徴候によって、物の着眼点のありかによって診断出来そうだと私は考える。之は問題の取り上げ方や取り扱い方一つにも明ら
前へ 次へ
全451ページ中187ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング