興味は大体伝習的に教育されているものであって、関心や興味にはいつも宗派的なエチケットがあるものだ。之が往々職業的に決っている場合さえある。このエチケットを無視して関心を拡大するには特別な自信を必要とする。この自信は関心の自然な生きた動きと之に対する忠実な信頼とに基くものだ。例えば日本の文学者の多くは、あまり社会的政治的経済的事象に興味を持たない。偶々持っていてもその興味を忠実に文学的な自信を以て、自分から信頼することが出来ぬらしい。関心は文壇の花園に局限される。ここに作家の教養という問題が若いジェネレーションから起きる原因が横たわる。
 関心興味の範囲が狭小だということは、同時に関心興味の偏頗であることをも意味する。当然関心を持つべきものに対して全く無関心であるということは、とに角人間として重大な欠陥でなくてはなるまい。尤も当然関心を持つべきだ、とか何とかは、どこで決まるのかと問われるかも知れないが、夫が取りも直さず教養という一つの規範から決って来るのだ。――一体なぜ関心上の不感症が生れて来るか。それは関心の体系[#「体系」に傍点]が貧弱であるか歪んでいるか、それとも全くシステムの態を
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