て蔽われねばならぬと推理することとは全く別だ。啓蒙の本質を把握し之を活用することと、啓蒙主義[#「啓蒙主義」に傍点]に陥ることとは別だ。政治的活動は啓蒙活動にのみ俟たねばならぬとか、啓蒙は政治的活動から独立であるべく、その意味に於て純然たる文化活動以外のものであってはならぬ、とかいう啓蒙主義は、自由を主張することが自由主義になったり、ヒューマニティーの強調が人間学(主義)になったり、議会政治の尊重が議会主義になったり、経済活動の充実が組合主義になったりするように、極めて危険な論理的な虚偽なのである。――カントの如きは啓蒙の概念を定着するに際して、之をプロシア化せねばならなかったために、啓蒙の一応非政治的であるという実は極めて活動的[#「活動的」に傍点]な規定をば人の油断している間に、却って極めて制限的[#「制限的」に傍点]な規定にすりかえて了ったのだ。かくてカントは、啓蒙が一切の意味に於て非政治的であるということを、即ち政治的変革のファクターではなくてただの文化的向上の槓桿だということを、啓蒙主義的にシステマタイズして了ったわけだ。
 つまりカント風の解明によると、啓蒙の一応[#「一応
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