区別されているのである。文学と科学とでは方法は勿論のこと世界観の形象も実は全く同じとは考えられない。なぜなら世界観とはすでに一つの実在反映の結果のことだから。すると文学の認識=反映の場所や媒質が即ち道徳=モラルだ、ということになるのである。この道徳観念を文学的[#「文学的」に傍点]道徳観念と呼ぶ所以は之であり、世間の文学がモラルを語る所以も亦之だ。
 今この道徳の立場、即ち文学の立場が、科学乃至理論の立場とどこで異るかを説いている暇がない。夫は恐らく形象[#「形象」に傍点]の問題と自己[#「自己」に傍点](自我・自意識・等々)の問題との関係の内に横たわると思う(コム・アカデミー編『文芸の本質』――ヌシノフ――の稿及び岡・戸坂著『道徳論』中の拙稿「道徳の観念」に問題を譲ろう)。だがとに角必要なことは、右のように考えて行けば道徳という概念が理論的に確立出来るだろうという点だ。で、もしそれが出来れば、それにぞくするものとしての風俗の概念も、理論的に確立出来る見込みが立つわけだ。――つまり風俗という観念、カテゴリーは、その本質を以上述べたような意味での道徳[#「道徳」に傍点]の内に持っていると
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