もの自身は、この文学的な道徳観念に照らされることによって初めてうまく把握され得るだろう。――最近文芸評論家が口にするモラルという言葉はこの「文学的」な道徳観念にやや近い。だが根本的な相違は、所謂「モラル」が往々にして単に道徳意識や生活感情という観念物以外の何物でもなくて、現実の客観的社会の本質的機構や現実的な思想内容や、又風俗[#「風俗」に傍点]とさえ、関係なしに口にされているという点だ。つまり所謂モラルは文芸創作方法に結びつけて考えられているらしいにも拘らず、夫が一向、創作方法上の論理学(乃至認識論)的根本概念の資格を、発見出来ずにいるのである。之ではモラルも十分に理論的なカテゴリーにはなれぬ。
道徳の文学的観念を私は、云うまでもなくあれこれの道徳律とも道徳感情とも考えない、又あれこれの習慣とも風俗とも考えない、却ってそうした所謂「道徳的」な諸現象をそういうものとして把握させるような一つの認識の立場[#「立場」に傍点]の名が夫だと考える。現実のそうした反映をやる場所や媒質の名が、道徳=モラルだ。処で文学[#「文学」に傍点]というものは、恰もこの実在反映の仕方の如何によって、科学から
前へ
次へ
全451ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング