がいる。それに準じてその亜種であるポプュラライザーやお説教屋も多い。彼等はどれも国家機構の壁に這う処のつた[#「つた」に傍点]のようなものだ。之に反して、啓蒙家[#「啓蒙家」に傍点]というものは現代日本では極めて数が乏しいのである。彼は国家機構の壁の上で勝手に這い回ることは許されない事情があるからだ(私は現代の啓蒙家の代表者として河上肇博士の如きを挙げることが出来ると思う)。
 啓蒙家は教育家でないと云った。社会教育(対社会教育)や成人教育・庶民教育も、それだけでは決して啓蒙ではない。同様に又彼は学者のことでも思想家のことでもないのである。――処が他方に於て啓蒙家は又充分な意味では宣伝家乃至アジテーターとも異っていることを注意すべきだ。宣伝乃至アジテーションになればレーニンの有名な著書にもよく出ている通り、いつも一つの重大な政治活動プロパーの内に這入っているわけで、レヴォリューション時代に於ては反国家的な機能であるが、それだけに正に政治的な活動であり、政権成就後に於ては正に一つの国家活動の要点となる処のものだ。処が啓蒙はそこまで充分には政治的[#「政治的」に傍点]ではないことがその特色
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