層だけに就いての話しで、勿論民衆の全部に就いてではない。衣服の上から云うと、ユニフォーム層とも云うべきものが存在するのである。云うまでもなく、背広にしても婦人の和服にしても、原理は固定していて、誰でも似たりよったりの物を着ているから、結局ユニフォームみたいなものではあるが、併しこの種の服装は自然と一定の社会層なり社会階級なりを示しているにも拘らず、着用者をば一定の群にぞくするものとして特に他の群から区別するという意味は持っていない。背広を着ている以上職人でも丁稚でもないことは明らかだが、併し別に自分はサラリーマンであって官吏ではないとか、自分は会社員であって銀行員ではないとかいうことは示していない。そこがユニフォームと異る処だ。
私の知っている或る高等学校の先生が、アメリカに遊学した際、洋行に先立って記念に生徒と一緒に撮った写真を、アメリカの学生に見せた処、あなたの学校は士官学校ですか、と聞かれたそうである。学生がユニフォームを着るということは、アメリカあたりでは不思議なことであるらしい。「制服の処女」という映画の題は、題だけで或る陰惨な印象を与える筈なのだろうが、吾々日本人には一向
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